文房具地獄

今日は春休み中の子供をつれて隅田川を散歩して来ました。大多数の方がお仕事している平日の昼間にフラフラ散歩したり公園でボンヤリしたりするのは私の長年の夢でして、思いがけず夢が叶ってしまいました。やはり想像通り凄い開放感と爽快感。こりゃたまらんです。

私の家は下町の商店街にある文房具店で、ついでにタバコや宝くじ売り場もやってました。しかしこのご時勢、個人商店は軒並みつぶれ周りはみるみるシャッター商店街。そんな状況の中、去年父が体調を崩し介護が必要な状態になりました。父の介護と子育て、店舗の経営と接客、母も高齢になってきているし「こりゃぁきついぜ!」と思っていたところに母から「お店やめて貸しちゃおうか?」と提案が。最初は渋っていた父も最終的には納得してくれました。しかし昨年の年末アッサリ父は死去。店舗を畳む算段はついていたのでそのまま計画は進み2月後半に文具店の長い歴史に幕を閉じました。

というわけで晴れて私は無職になった訳です。どこにでもあるありふれた話だと思いますが私にとってこの文房具店、なかなか手強い因縁の相手でした。子供の頃から父に聞かせれていた話によると家の創業は西暦1845年、弘化2年だそうです。黒船来航の8年前ってことになります。そして私で七代目。戦前までは文具屋ではなく紙屋だったそうです。親父は話を盛って大げさに言う人物だったので眉唾物として聞いていたんですが今回、うちの墓を開けたら大量の骨壷があったのであながち嘘ではないのかもしれません。幼少の頃、曾祖母、祖母が健在で何かにつけ「家のため」「山本家のため」「家業を守る」というワードが耳に入ってきていたのも信憑性を高めます。そんな家庭環境でしたから私も自然に「文具屋を継がなきゃ。七代目だもんな」と思っていて、すこし誇りにも感じていました。しかし弊害もありまして。

まず家族旅行したことがありません。誰かが店番していないとならないから。家族そろってご飯食べれません。誰かが店番しないとならないから。でもこれはそんなに嫌じゃなく「家はそういうもんだ」と思っていました。それよりきつかったのが友達関係です。私の子供の頃はショッピングモールやホームセンターは無く商店街のお店が生活のメインでした。当時の文房具は子供の受けを狙ってなんかよく分からない合体する筆箱とか変なにおいのする消しゴムとか注射器型のシャープとか発売されていて玩具屋と大して変わらなかったんです。当然同級生が家に買いに来ます。今思えば冗談だったと思うのですが父が私に「お前の友達はお客さんなんだからお前変なことするなよ」と言われた事があってこれでどうやって友達と付き合えばいいのか分からなくなりました。とりあえず誰にも嫌われないように八方美人になりました。上級生になると事態はさらに悪化します。当時、万引きは普通にみんなやっていました。文房具屋は格好の標的。お客さんどころか友達は敵です。それでも八方美人やらなきゃいけないのが客商売のつらい所です。そして家は四階建てのビルで3,4階を塾に貸していました。これは子供が集まって文具も買ってくれるし商売としては一番成功していた時期だと思います。でもその塾に私も入れられてしまいます。子供てぇのはホント残酷で「下の文具屋のジジィとババァむかつく」とか「下の文具屋腐ってる」とか言う訳です。そして万引きもします。私に対しても「お前、ひいきされてるだろ」とか「あのシャープ欲しいな。くれよ。」とか言ってきます。逃げ込むように部屋に帰っても上の階から子供たちの喧騒が聞こえてきます。逃げ場無し!

中学になって普通に反抗期になってドロップアウトしたんですが私の一番辛い時期は小学生時代でした。十代のころはお決まり用に親のせいにしていたんですが考えれば文具屋のせいですよねぇ。でもまあこの時期、現実逃避するために妄想の世界に逃げ込んでいたのもイキグサレを作る礎になっていると思います。

今は店番しなくていい環境を謳歌したいと思います! 

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