目標達成!

さてさて、この記事10件目です。と言う事は、十日間、毎日ブログ更新した事になります。ブログ始めた時取りあえずの目標として「十日間、毎日書く」と決めました。取りあえずの目標は達成です!いえーい! 文章なんて作詞のときしか書かないし、ネタ十日ももたねーよ!と思っていたんですがやれば出来る物ですね。面白いかどうかはさておいて。

ブログ十日書いたからといっていい事が起きるわけでもないし表面上は何も変わらないです。しかし十日前は「ブログ書いたことが無い生一郎」が今は「ブログ十日毎日書いた生一郎」に変化した訳です。明日は「十一日ブログ書いた生一郎」になっているでしょう。「下らない」「そんな事意味無いよ」と何もしなかったら、この微量の変化も起きない訳で、微量の変化さえも無かったら大きな変化も無いと思います。というか微量の変化の積み重ね以外に大きな変化はありえないと思います。

下らなく意味が無いように思える事でも続けていけばビックリするような事が起きます。イキグサレも「こんなの誰が聞くんだよ」と言われながらも続けたら、いつの間にかファンと言ってくれる方々が現れました。このブログも続けているうちに文章力がついてイキグサレラノベ化なんてなるかもしれないじゃないですかw そうしたら次はコミカライズ、アニメ化、映画化ですね!

ヘタウマ

今日から息子が本格的に新学期です!二年生になった事より昼間学校に行ってくれるようになったのが嬉しいです!でも家事や雑務が沢山残っててなかなかイキグサレの活動が出来ません!

昨日書いたように子供の頃、妄想を可視化しようとひたすら変な絵を描いていたわけですが、ある程度大きくなると「設定」や「ストーリー展開」と言う言葉を覚えて、なんだか自由に妄想出来なくなってきました。それにめげないで絵を描き続けていればある程度イラスト上手くなっていたかなぁと思うときがあります。

でも上手さや技術って簡単に上下を決めたり杓子定規で計れないものだなと思います。絵はイマイチなのに凄く面白い漫画ってあるじゃないですか。(もちろん他の部分、演出とかコマワリとかが上手いんだと思いますが。)また、パンクロックバンドが妙に演奏上手くても困り者。反社会的なカウンターカルチャーなのにちゃんと音楽勉強してしっかり楽器練習した形跡が見えたら興ざめです。

また昔の話になりますが私ゴジラが大好きで中学のころゴジラファンクラブなんてものに入っていました。当時特撮ブームがありまして「今の特撮技術でゴジラ撮ったら凄いのが出来るに違いない!」みたいな熱がマニアの間で高まっていました。(オタクって言葉が無い頃ですw)そして満を持して1984年新作ゴジラが公開されました!実は私この映画エキストラで出ています。(まったく写っていませんがw)見た感想は「ウ~ン」でした。待ちに待った新作ゴジラ。撮影にも参加できた思い入れタップリの映画です。でも「ウ~ン」としか言えなかったんです。

そこで私は「作品の良し悪しと技術の高さは関係無いのではないか」と思うようになりました。技術の高さよりその作品にふさわしいかどうか、合っているかどうかなんだと。確かに技術は高ければ高いほどいいに決まっています。ですが恐らく下手も出来た方がいい様な気がします。そして下手な物でもそれがふさわしい作品は創れると思います。

お化け大好き!

昨日は現状報告する投稿だったのですが酒飲みながらアドリブで書いていました。読み返したら酷く愚痴っぽい記事になっていましたね。反省しています。といいながら今もビール飲みながらアドリブで書いていますw

私、お化けが大好きです。なぜか分かりませんが生まれつきの性質のような気がします。一番古い記憶では幼稚園で、みんな帰った後先生と二人だけになった時がありまして私は凄く興奮しながら小泉八雲ののっぺらぼうの話「むじな」と「置いてけ堀」の話を先生にした記憶があります。翌日、みんなの前に立たされ「山本君は凄い怖い話を知っているのよ」と言われみんなの前で怪談を披露させられました。

小学二年のとき新しい担任の先生に自己紹介で「僕は骸骨が好きです」と言ったのを覚えています。その先生は一年で辞めてしまったのですが最後の日、職員室に呼び出され「みんなにはナイショでね」と河童の本と鬼の本をくれました。これは本当に嬉しかった。

昨日書いたように何ともいえない幼少期を過ごした訳ですが妖怪、幽霊、お化けに関する想い出は凄くキラキラ輝いているんですよね。恐らく私の心のより所なんだと思います。

文房具地獄

今日は春休み中の子供をつれて隅田川を散歩して来ました。大多数の方がお仕事している平日の昼間にフラフラ散歩したり公園でボンヤリしたりするのは私の長年の夢でして、思いがけず夢が叶ってしまいました。やはり想像通り凄い開放感と爽快感。こりゃたまらんです。

私の家は下町の商店街にある文房具店で、ついでにタバコや宝くじ売り場もやってました。しかしこのご時勢、個人商店は軒並みつぶれ周りはみるみるシャッター商店街。そんな状況の中、去年父が体調を崩し介護が必要な状態になりました。父の介護と子育て、店舗の経営と接客、母も高齢になってきているし「こりゃぁきついぜ!」と思っていたところに母から「お店やめて貸しちゃおうか?」と提案が。最初は渋っていた父も最終的には納得してくれました。しかし昨年の年末アッサリ父は死去。店舗を畳む算段はついていたのでそのまま計画は進み2月後半に文具店の長い歴史に幕を閉じました。

というわけで晴れて私は無職になった訳です。どこにでもあるありふれた話だと思いますが私にとってこの文房具店、なかなか手強い因縁の相手でした。子供の頃から父に聞かせれていた話によると家の創業は西暦1845年、弘化2年だそうです。黒船来航の8年前ってことになります。そして私で七代目。戦前までは文具屋ではなく紙屋だったそうです。親父は話を盛って大げさに言う人物だったので眉唾物として聞いていたんですが今回、うちの墓を開けたら大量の骨壷があったのであながち嘘ではないのかもしれません。幼少の頃、曾祖母、祖母が健在で何かにつけ「家のため」「山本家のため」「家業を守る」というワードが耳に入ってきていたのも信憑性を高めます。そんな家庭環境でしたから私も自然に「文具屋を継がなきゃ。七代目だもんな」と思っていて、すこし誇りにも感じていました。しかし弊害もありまして。

まず家族旅行したことがありません。誰かが店番していないとならないから。家族そろってご飯食べれません。誰かが店番しないとならないから。でもこれはそんなに嫌じゃなく「家はそういうもんだ」と思っていました。それよりきつかったのが友達関係です。私の子供の頃はショッピングモールやホームセンターは無く商店街のお店が生活のメインでした。当時の文房具は子供の受けを狙ってなんかよく分からない合体する筆箱とか変なにおいのする消しゴムとか注射器型のシャープとか発売されていて玩具屋と大して変わらなかったんです。当然同級生が家に買いに来ます。今思えば冗談だったと思うのですが父が私に「お前の友達はお客さんなんだからお前変なことするなよ」と言われた事があってこれでどうやって友達と付き合えばいいのか分からなくなりました。とりあえず誰にも嫌われないように八方美人になりました。上級生になると事態はさらに悪化します。当時、万引きは普通にみんなやっていました。文房具屋は格好の標的。お客さんどころか友達は敵です。それでも八方美人やらなきゃいけないのが客商売のつらい所です。そして家は四階建てのビルで3,4階を塾に貸していました。これは子供が集まって文具も買ってくれるし商売としては一番成功していた時期だと思います。でもその塾に私も入れられてしまいます。子供てぇのはホント残酷で「下の文具屋のジジィとババァむかつく」とか「下の文具屋腐ってる」とか言う訳です。そして万引きもします。私に対しても「お前、ひいきされてるだろ」とか「あのシャープ欲しいな。くれよ。」とか言ってきます。逃げ込むように部屋に帰っても上の階から子供たちの喧騒が聞こえてきます。逃げ場無し!

中学になって普通に反抗期になってドロップアウトしたんですが私の一番辛い時期は小学生時代でした。十代のころはお決まり用に親のせいにしていたんですが考えれば文具屋のせいですよねぇ。でもまあこの時期、現実逃避するために妄想の世界に逃げ込んでいたのもイキグサレを作る礎になっていると思います。

今は店番しなくていい環境を謳歌したいと思います!