クモちゃん地獄

はい!日焼け止め塗らなかったら肩や背中が真っ赤になってヒリヒリします!

曲紹介、5の最後の曲です。

「クモちゃん地獄」

虫はホラーの小道具としてよく使われます。私は虫好きなので怖くないのですが前回4で「蝿の女王」作ったときネタとしてはかなり使い勝手がいいことに気がつきました。そこで今回はクモで行こうと決めました。身近な生物だし「クモにまつわる怖い話」も探せばいっぱいありそうな気がします。家でよく見かけるハエトリグモは可愛いですしね。

しかし製作中、東日本大震災が起こります。落ち着いてから曲作り再開しても作れませんでした。テレビでメルトダウンや海岸に遺体が300人流れ着いたなんて放送された後では私が考えた怪談なんて怖くもなんともありません。独り身だったらまた違ったのでしょうが妻がいて子供も生まれたばかり。そのとき起きたこの災害は直接被害は無かったもののかなり怖かったです。自分一人だったら自分が死ぬだけで済むんですが死んでほしくない人が身近に出来るとこんなにも恐怖が倍増するんだと始めて知りました。亡くなった方や遺族の方、特に子供をなくされた方の事を考えるとフィクションとはいえ怖い話を作る気にはなれませんでした。

しかしまだ5の曲出揃ってないので作らなければなりません。そこで残っていたクモのネタを使って元気が出る曲を作ろうと考えました。勿論、被災された方を元気付けようなんておこがましい事は考えていません。そんなことが出来るほど私は他人の気持ちに寄り添う事が出来ないし自分のことで精一杯です。しかし世の中には(少なくとも私一人は)綺麗な言葉で励まされるよりマイナスの言葉で励まされた方がピンと来る人もいると思っています。そこでこの曲作りました。

芥川龍之介の「蜘蛛の糸」をイメージしています。主人公カンダタの前に垂れた一本の糸に地獄の亡者が群がって切れてしまいますが、この曲では蜘蛛の糸は皆に一本づつあるんだとイメージしています。常識やこだわりで見えなくなっているけど掴める糸はあるんだと。地獄なんか簡単。嫌になったら糸掴んじゃえばいいんだから。そういう曲です。

エミちゃん探偵団

明日から子供連れて海に行ってきます!と言っても一泊するだけですが。と言うわけで明日は更新できないので今日はなんとしても更新しないと。

では行きます。5の九曲目

「エミちゃん探偵団」

この曲は最初イメージいていたのは昔「みんなのうた」でやっていた「山口さんちのツトムくん」でした。仲良くしていたツトム君がなんか最近様子がおかしいぞと女の子の目線から歌われる可愛らしい歌です。田舎に行っていたお母さんが帰ってきたら元に戻ったというオチなんですが何故か子供のころテレビから流れるこの曲を聴くと妙に心がザワつくというか何か不穏な空気を感じていました。大人になってから知ったことですがこの曲を作った、みなみらんぼう氏によると自身の少年期に母親を失った経験から作られたらしく「やはりそうか」と納得しました。

後、小学校の図書室で読んだ本。題名は覚えていませんが友達が実は宇宙人が作ったアンドロイドで秘密を主人公に打ち明け宇宙に帰るというお話。なんだか切ない気分になったのを覚えています。そこで小学校を舞台に友達が変質してしまったり秘密を知ってしまったりするオカルト版「山口さんちのツトムくん」を作ろうと思いました。

当初は本当に「お化け憑いた」とか「宇宙人にチップ埋め込まれた」とか考えていたんですが、どうもそれだと「山口さんちのツトムくん」聴いたときの不安感が出せなくて「なんかもっとないかな~」なんて考えてきたときフと思いつきました。虐待です。しかし肉体的虐待やネグレクトだったら友達に秘密にするかな?と思い友達に秘密にしなければならず、ばれたら全てが崩壊するほどの事と考えたら思いつきました。性的虐待です。

普段だったらこのアイデアは没にしていたと思います。重すぎるし扱い難しいですから。ですがこの時、妻のお腹には長男がいました。恐らく私の性格上、子供が出来たら子供が犠牲になるものは作れなくなるだろうと予想できました。だったらこのアイデア出来るのは今しかない!と強行しました。

予想は的中で子供が犠牲になるどころかあんなに好きだったホラー映画、人が死ぬシーンちょっと苦手になったりしています。恐らく子供が成人するまで後16年は子供が犠牲になる話作れないと思いますw

マンホールより

下の子の習い事の発表会が近づいて頻繁に練習がありまして、付き添いだけでかなり時間と体力、気力を削られます。アルバム製作そろそろ焦りが出てきました。

はい、というわけで曲紹介。5の八曲目

「マンホールより」

ホラー映画で時々見かける下水道に潜んでいる何かがマンホールから這い出てくるイメージ。これを曲にしようとしたのが最初のアイデアです。足元のすぐ下にあるにも関わらず生活と遮断された真っ暗な巨大迷路のような空間。実に想像力を刺激される空間です。作り始めるとある作品のイメージに強く引っ張られているのに気付きました。悪名高いビデオシリーズ「ギニーピック」。その中で日野日出志先生が監督された「マンホールの中の人魚」という作品がありまして、川が埋め立てられ下水となりそこに住んでいた人魚がドロドロに腐っていくという作品なんですが、どうもこれに引っ張られすぎている気がしたので別解釈をしようとあれこれ考えました。

開発により住処を奪われた妖怪ってストーリーはよくあります。妖怪物のアニメや漫画では必ず一回はこういう話があります。で、妖怪は被害者、弱者と描かれるんですがそんな訳無いだろうと。妖怪は現象によって現れる心の動きなんだから環境が変わっても恐怖を与える側で常に強者です。川で人を溺れさせたり尻子玉抜いていた河童は生活排水や工業排水によってさらに強く進化、サイボーグ化して災厄をもたらす存在になっているだろうと思いました。ここで「亡霊軍艦」とつながります。「亡霊軍艦」は伊福部氏が音楽を担当していた初期のゴジラ作品のオマージュですが、この曲はゴジラが正義の怪獣になった後期ゴジラ作品でいこうと。ですからこの曲、「公害怪獣ヘドラ」「サイボーグ怪獣ガイガン」「ロボット怪獣メカゴジラ」のイメージと河童を合体させたものになっています。

くるくる

今日は近所の公園で盆踊り。毎年、子供が行きたいつって連れて行かれるんですが正直キツイです。でもまあ子供も妻も楽しそうだから良しとします。

では曲紹介。5の七曲目、PVが人気の曲です。

「くるくる」

例のごとくネタやメロディを引っ張り出すため散歩していた時、携帯で電話している女性の前を通り過ぎました。大きい声で喋っていたので聞くとはなしに会話が耳に入ってきて、「それは時代が悪いんだよー」なんて言っていました。「時代なんて形が無い物に良いも悪いもねえだろ」なんて思った時ふと思いつきます。時代や世間、社会は形が無いにもかかわらず「良い」とか「悪い」とか「厳しい」とか「優しい」とか言われます。勿論それは擬人化で例え話みたいな物なんですが一部の人は本気で社会や世間に恨みを持っているように思えます。形が無い物を意思や意識があるように扱い恐れる。これって妖怪そのものではないかと。いや「世間様」なんて言葉があるんだから神様だろうと。それもかなり原始的な神様。

狩猟民族であった時は山や海、荒々しい自然は神様でした。農耕民族になると自然に依存する率は低くなり神様も扱いは低くなり妖怪になります。その代わり土地やコミュニティが重要になり土地神様や先祖の霊が重要視され、さらに複雑になると国や政治的な神様が現れます。過去の神様は大体妖怪に身を落とします。そう考えると結局利益の出る場所=狩場が神様なんだと思いました。現在、我々の狩は仕事です。社会や世間は狩場です。神格化されても不思議ではありません。太刀打ちできない強大な力を持っているような気がしますし自分一人では変えることは不可能のように思えます。でも考えてみれば社会も世間も実体は無いんですよね。まさに現象でしかない。人格はないし意識もない。ですから敵にもならないし味方にもならない。そういう物を「世間様」「社会が許さない」「社会的に抹殺」なんて言うのは狩猟民族であったころ山や海に抱いていた感情と大して変わらないんじゃないだろうかと思いました。縄文時代から大して進化していないんだと。曲のアイデア頂きましたw

どんな曲にするのか結構悩んだんですけど開き直って、とにかくポップにしてみました。こういうテーマ、迂闊な事をすると説教臭くなる可能性があったので能天気な曲に仕上げました。思惑は成功したと思っていますw

亡霊軍艦

子供が夏休みに入って色々イベントがあって結構時間が喰われています。でもまあ何とかなるでしょう!

曲紹介、5の六曲目

「亡霊軍艦」

私、小さいころからゴジラ大好きです。ウルトラマンも好きでしたが断然ゴジラ派でした。ウルトラマンシリーズは頻繁に再放送していたので視聴する機会はあったのですがゴジラ映画は滅多にやりません。DVDはおろかVHSも無い時代ですから、たまにゴジラ映画やったら見逃してはなるものかとテレビを食い入るように見ていました。あとはひたすら怪獣図鑑を見て空想妄想するばかり。子供のころの私は常にゴジラ欠乏症。こんな状態ですから音楽まで認識する暇はありませんでした。

小学校のころ「ゴジラ伝説」というアルバムが出ました。ゴジラ映画の音楽をシンセでアレンジしたアルバムです。貸しレコード屋(まだCDじゃない時代です)で借りて聴いて「怪獣総進撃マーチ」と「怪獣大戦争マーチ」にぶっ飛びました。ゴジラの音楽こんなにかっこよかったんだと。中学になりお小遣いに余裕ができると東宝特撮のレコード買いあさり名画座に東宝特撮三本立てを見に通いました。今だったらDVD買えば終わるような情熱、この時代はここまでしないと満足できなかったんですwこの時期、伊福部昭氏の変拍子や不気味さ、怖さを表現した音楽に触れ続けていたのは後にプログレに開眼する下地を作っていたようにも思います。

はい、こんなにも思い入れのあるゴジラ音楽=伊福部音楽、今回5のコンセプト「音楽を意識する前に聴いていた音楽」から外せるわけがありません。ガッツリ、伊福部風ではなく伊福部音楽を作るつもりでいきました。そしてやっぱり作りたいのは血湧き肉踊るマーチでしょう!そうなると歌詞は怪獣じゃなくって戦う方の自衛隊やスーパー兵器がいい。東宝特撮の主役級兵器といえば「海底軍艦」の轟天号。歌うのはイキグサレ。じゃあ謎の科学力じゃなくてオカルトパワーで戦う兵器。幽霊船になった戦艦で行こう!とノリノリで作りました。海の怪物を駆逐し幽霊船同士の海戦など妄想してワクワクものでしたw

この曲、PVもあるんですが「戦艦一隻じゃ勝てないだろ」みたいなコメントを頂いています。オカルトパワー舐めてはいけません。だって物理攻撃きかないんですよ。幽霊だから。こっちの攻撃は気合かなんかで当たると思いますw

雪女

息子が二、三日前から何で知ったのか「こっくりさん」をやりたがってうるさいです。「本当にお化けが来るわけじゃないんだけど嫌な事やいつもと違うことが起きるとお化けと結び付けて考えちゃうでしょ」なんていっても伝わる分けなく「本当に来ないならいいじゃん」「パパも怖いの好きでしょ!」と言います。うーん困ったもんだ。

そんなこんなで曲紹介。5の五曲目

「雪女」

妖怪って不可解な現象や自然現象そのものだったりします。「家鳴り」や「山彦」「蜃気楼」なんかも妖怪として扱われていました。キャラクター化した妖怪を現象として捉えなおすのは非常に面白いです。妖怪の正体を科学的に解明!なんて野暮な事ではなくて現象に対面した人の心の動き。恐怖や不思議に思う気持ちが妖怪を形作っているんだなと見えてきます。キャラクター化、妖精化した妖怪を再び恐怖の対象にするにはまずは「現象」にまで戻す必要がある気がします。

で、「雪女」。妖怪の中でもキャラクターが立っている妖怪です。いろんな作品でもヒロインに抜擢されています。これだけキャラが立っちゃうと元の現象が見えにくいですがある本に載っていました。雪山で遭難し凍死寸前になると逆に非常に暑く感じるらしく服を脱ぎ捨て裸で発見される事があるそうです。こんな雪山で裸になるなんてよっぽど良い女がいたんだろうという所から雪女が出来たらしいです。なるほど雪山で男をかどわかし凍死させる美女。イメージ通りです。しかしもう一つ雪女にはイメージがあります。純愛を貫く可愛らしい女性というイメージ。これは小泉八雲の雪女から来ていると思います。怖くて美しくて悲しい完璧なストーリーですからイメージも引っ張られちゃうってもんです。

そこで私が持っている雪女のイメージ、現代に置き換えて現象として復活させようと思いました。雪が降っていることを理由に好きな人を家に引き止める女性。交通機関が止まるほどの雪ならば被害が出る事も知っている。でも自分にとってはロマンチックで綺麗な雪。なかなか上手い事、現象としての雪女を表現できたんじゃないかと思います。

桜の木の下には

どうもです!ここ二、三ヶ月ずっとやっていたゲームようやく全クリできました。これで新アルバムの製作に入れます。イベントに間に合うかなぁ・・・。とか言いながら間に合わせるんですけどね、私。

はい、そんな訳で曲紹介。5の四曲目

「桜の木の下には」

このアルバム作っていた頃なんか世間では卒業ソングが流行っていて「桜がどうたらこうたら」という歌詞の歌が耳に良く入ってきました。じゃあ俺も作ってみるかと作ったのがこの曲です。でもイキグサレなんですから「希望の未来へ」とか「ありがとう」とか言いません。「桜の木の下には死体が埋まっている」という都市伝説から始まり学校系怪談のお約束をあれこれ詰め込みました。せめて曲は爽やかにしようとボサノバ風にしてみました。学校系怪談のネタ、この曲で一気に消費しちゃったのは、もったいなかったかなぁとちょっと後悔していますw

魔女っ子サッちゃん

さてさて。また間が空いてしまいましたが曲紹介です。5の三曲目

「魔女っ子サッちゃん」

私が幼稚園のころ家の隣は金魚屋さんでそこのお兄さんに私は凄くなついていました。お兄さんからもらった石原豪人さんのイラストで有名な「世界妖怪図鑑」は表紙は破けてもうボロボロなんですが今でも宝物です。いつものようにお隣に遊びに行った時、お兄さんにカセットテープで聞かせてもらった曲があります。凄く不気味な曲でしゃがれた声でなにか言ったり歌ったりしています。「誰が歌ってんの?」と聞くと「魔女だよ」とお兄さんは言いました。この曲はダリオ・アルジェント監督の「サスペリア」のメインテーマでした。

小学生になるとテレビの映画枠で「サスペリア」放送され始めました。今では考えられない事ですが結構エグイホラー普通にテレビでやっていたんですよ。子供の私は「サスペリアのテーマ」聴きたいがために怖いの我慢して見ていました。このころからプログレ野郎だったんだなぁと笑ってしまいますw

と言うわけで5のテーマは「音楽を意識する前に聴いていた音楽」。サスペリアのテーマは外せません。とはいえ大人になった私、アルジェント作品にも音楽担当のゴブリンにも思い入れが出来てしまっているので素直に作れませんでした。「サスペリアのテーマ」作るつもりが「サスペリアⅡ」のテーマになってしまいました。

私がアルジェント作品で一番好きなところは派手に殺すシーンもいいんですが殺す準備をしている所です。黒い皮手袋をはめた手だけ映してそれがいそいそと道具の手入れやジンクスなのかお呪いなのか知らないけど紙を切ったりよく分かんない事をしています。それを結構じっくり撮るんです。バックにゴブリンのテーマ曲流しながら。ですからサッちゃんも意味あるんだか無いんだかよく分からない手間の掛かる作業をしていますw

「エロイムエッサイム」や「エコエコアザラク」のような魔女っこじゃない魔女の呪文を入れたかったんですが思いつかなかったので持っている本、片っ端から調べてみたらありました。グリヨ・ド・ジヴリという人が書いた「妖術師・秘術師・錬金術師の博物館」という本に十三世紀の吟遊詩人が書いた物語に出てくる悪魔を呼び出す呪文というのが。なんかカッコイイので引用しました。とりあえず興味があることの資料は集めておくもんですね。

コンピュータ武者

はい!さっさと行っちゃいます!5の二曲目

「コンピュータ武者」

現代的な怪談によくあるパターンの一つにPCやスマホが出てくるのがあります。覚えの無いフォルダや画像ファイルを見つけて開いてみると・・・ってやつです。これって私のイメージだと霊体なんだから機械に入って直接プログラムいじっていると思うんですが見える人が見たらスマホ、ポチポチやっていたりPC、カタカタやっているように見えるんじゃないかなぁと。すごく間抜けに見えると思います。

間抜けな幽霊といえば以前見たホラー作品でJホラーっぽい雰囲気だったんですが落ちにいきなり落ち武者が出てきてすごーく間抜けでした。それでパソコン、カタカタやっている落ち武者というイメージが出来ました。これはもう徹底してコミカルな曲にしようと。なかなか笑える曲になったと思います。曲名は昔の「みんなのうた」の曲「コンピュータおばあちゃん」からとりました。

お岩さんロック

殺人猛暑のこの頃、皆さんどうお過ごしでしょうか?私は体調崩し夏風邪です。でもビール飲む元気あるから平気でしょう。はい、というわけで曲紹介、5の一発目

「お岩さんロック」

私は子供のころからお化け好きだったので「口裂け女」や「人面犬」などの都市伝説も娯楽として受け止めていました。しかし一つだけ本気で怖かったものがあります。私と同年代の人は皆そうだと思います。四谷怪談のお岩さんです。名前を口にしただけで呪われる、頭で考えただけで呪われるなんて言われていました。あのルックスも相まって本当に怖かったです。大きくなってから調べて鶴屋南北の完全な創作だと知っても畏怖の念は消えません。江戸時代からずっと貞子が現れるまで幽霊の代名詞であり続けたスーパースターですから。

今回のアルバムのコンセプトは「子供のころ聴いた音楽」。お岩さんは音楽じゃないけど子供のころ怖かった物ってのもアリかなと。そしてなにより実しやかに語られる映画やお芝居の話。四谷怪談やるのならお岩稲荷にお参りしないと祟られるという話。私も日本のホラー作家の端くれなんですから是非「四谷怪談」題材にした曲を作ってお岩稲荷にお参りに行きたかったんです。なんていうかホラー作家になるための登竜門、自分がホラー作家だと宣言するために必要な儀式だと感じていました。

お岩さんをイメージした曲を考えたら何故かロックが出てきて非常に似合っている気がしました。歌詞はお岩さんに憧れている子の話です。曲が出来てから「岩」と「ロック」が掛かっている事に気付きました。

さて妻と赤ん坊だった長男と一緒にお岩稲荷にお参りを済ませたのですが安心は出来ません。なんてったってあのお岩さんとコンタクトとったんですから。まったく何も無いとは思えません。お参りした直後に店舗が空き巣被害にあったり私の財布置き引きされたりしましたが金銭的な損失は祟りとは言いがたく単純に自身の迂闊さでしょう。それを祟りに結びつける事はありませんでした。しかし次の出来事。隣のマンションの住民の方から電話があり飼い猫が家のビルの屋上に飛び降りてしまったという事。私はピョンと飛び降りた猫が戻って来れずニャーニャー鳴いているのを想像しました。屋上に上がってみたら猫の姿は見えません。飼い主の方に聞いてみたら「あ、ここではなく下の・・・」と言います。下と言ったら私の自宅のベランダしかありません。見てみたら黒猫が死んでいました。こんな事ってあるんでしょうか。

死んだ猫は可哀想だったし飼い主の方も目に涙を浮かべていて非常に気の毒でした。しかし私は心の中で「ああ、これで本当に俺はホラー作家になったんだ」と確信していました。