踏切音頭

先日、痛めた肩の検査のためMRI始めてやりました。狭い空間に寝たまま電動で入れられるのは火葬場の焼却炉に入れられるようなコールドスリープさせられるようなちょっと恐怖を感じます。閉所恐怖症の人は耐えられないでしょう、あれ。

さて、6の三曲目

「踏切音頭」

私的、死に直接関係ないのに死を意識させる場所、ナンバーワンは団地の屋上です。今までも散々ネタにして来ました。ところがナンバーツーの踏切。まだ一回もネタにしていなかったので踏み切りの曲にしようと作り始めました。ついでだからイキグサレでまだやっていなかったジャンルの曲にしようと思い思案した結果、音頭やっていないと気付きました。音頭といえば数え歌です。アニメの夏限定のエンディングのノリで作りました。踏切事故の数え歌なんて出来るかなぁと不安だったんですが出だしが出来たらスルスルと歌詞が出てきてノリノリで作った記憶があります。なんかメッチャ楽しかったですw

のっぺらボーイ

どうもです!一昨日、転んで手を付いた時、肩やっちまいました。肩上がらないのは別にいいんですが楽器弾けないのヤバイです。アルバム製作に影響出なければ良いんですが。

と言うわけで6の二曲目

「のっぺらボーイ」

最初の曲が可愛い系だったので今度はカッコイイ系を作ろうと作り始めた曲です。この時ちょっとスピリチュアル関係に興味があって色々ネットで調べていました。そこで知った「いまここ」という概念。過去は過ぎた事でもう存在しない。未来は起きていない事でまだ存在しない。あるのは今だけ。過去や未来にリアリティを感じ重要視するのは空想、妄想に囚われているのと同じ。今、見えている物や聞いている音、感じている物のほうが重要。と、いう概念です。これは私は「確かにそうだ」と非常に納得しました。でもスピリチュアル関係はそこから「願望実現」とかセミナーのお知らせとか本の紹介とか言い出して一気に胡散臭くなるので引いてしまうんですが基本的な考え方、私は好きです。そこで過去の後悔や将来の不安にばかりスポットを当てて今、見ている聴いているものをないがしろにしている状況を歌詞にしてみました。目や耳などの感覚器官を上手く使っていないと言う事で「のっぺらぼう」と絡ませてみました。

と言うわけで全然「のっぺらボーイ」というキャラクターは存在しなかったんですがファンアートでのっぺらボーイを描いて下さった方がいまして。そういう解釈もアリか!と思いPVでは思いっきり「のっぺらボーイ」というキャラを作ってみました。イケメンののっぺらぼうというわけ分からないキャラになりましたw

お願い!マコちゃん

はい!今日もブログ書く時間、確保できました。いつもこの調子ならいいんですが。それでは曲紹介、6の一曲目

「お願い!マコちゃん」

やっぱりオープニングナンバーはキャッチーで元気な曲にしようと小細工無しでストレートに明るい曲にしました。でも歌詞は魔の交差点についてです。ネットでネタを探しているとき「魔の交差点(通称、まこちゃん)」というのを見つけて即、採用しました。こういう不吉なものをポップに扱うセンスは大好きです。

で、魔の交差点の話をいかにキャッチーな曲に落とし込むか考えて思いつきました。現実ではありえない漫画的表現、遅刻しそうでトーストくわえて走って門で人とぶつかる。「イテテ・・・どこ見てんのよ!」とかいって相手を見たらイケメンでさらにそれが転校生。バナナの皮をふんでこけるぐらいありえない展開ですが漫画、アニメの世界では様式美として残っています。これを現実のものにしようと正面衝突のエキスパート、魔の交差点に願掛けする女の子の話にしました。不吉で恐ろしい魔の交差点を煩悩パワーで縁結びの神様にしてしまうバイタリティ、見習いたいですw

でも祟り神であった菅原道真が学問の神様として未だに健在なんですからあながち的外れな事ではないのかもしれませんw

イキグサレ6

はい!今日からはこのアルバムの紹介です!

「イキグサレ6」

前回、いきなり頓挫してしまったコンセプトを決めて作ると言うアルバム製作。そこで今回は初心に帰りホラー短編集のつもりでアルバムを作る手法に戻しました。しかし前回書いたように震災により創作ホラーより怖い現実を突きつけられてしまったのが後を引いていました。意識はしていなかったのですが結果的に怖さよりコミカルさや切なさ、優しさを出した曲が多くなったと思います。死や地獄といったネガティブなものを使ってポジティブを表現するのはイキグサレの特徴の一つだと思っていますので良くも悪くもイキグサレらしいアルバムではないかと思っています。

クモちゃん地獄

はい!日焼け止め塗らなかったら肩や背中が真っ赤になってヒリヒリします!

曲紹介、5の最後の曲です。

「クモちゃん地獄」

虫はホラーの小道具としてよく使われます。私は虫好きなので怖くないのですが前回4で「蝿の女王」作ったときネタとしてはかなり使い勝手がいいことに気がつきました。そこで今回はクモで行こうと決めました。身近な生物だし「クモにまつわる怖い話」も探せばいっぱいありそうな気がします。家でよく見かけるハエトリグモは可愛いですしね。

しかし製作中、東日本大震災が起こります。落ち着いてから曲作り再開しても作れませんでした。テレビでメルトダウンや海岸に遺体が300人流れ着いたなんて放送された後では私が考えた怪談なんて怖くもなんともありません。独り身だったらまた違ったのでしょうが妻がいて子供も生まれたばかり。そのとき起きたこの災害は直接被害は無かったもののかなり怖かったです。自分一人だったら自分が死ぬだけで済むんですが死んでほしくない人が身近に出来るとこんなにも恐怖が倍増するんだと始めて知りました。亡くなった方や遺族の方、特に子供をなくされた方の事を考えるとフィクションとはいえ怖い話を作る気にはなれませんでした。

しかしまだ5の曲出揃ってないので作らなければなりません。そこで残っていたクモのネタを使って元気が出る曲を作ろうと考えました。勿論、被災された方を元気付けようなんておこがましい事は考えていません。そんなことが出来るほど私は他人の気持ちに寄り添う事が出来ないし自分のことで精一杯です。しかし世の中には(少なくとも私一人は)綺麗な言葉で励まされるよりマイナスの言葉で励まされた方がピンと来る人もいると思っています。そこでこの曲作りました。

芥川龍之介の「蜘蛛の糸」をイメージしています。主人公カンダタの前に垂れた一本の糸に地獄の亡者が群がって切れてしまいますが、この曲では蜘蛛の糸は皆に一本づつあるんだとイメージしています。常識やこだわりで見えなくなっているけど掴める糸はあるんだと。地獄なんか簡単。嫌になったら糸掴んじゃえばいいんだから。そういう曲です。

エミちゃん探偵団

明日から子供連れて海に行ってきます!と言っても一泊するだけですが。と言うわけで明日は更新できないので今日はなんとしても更新しないと。

では行きます。5の九曲目

「エミちゃん探偵団」

この曲は最初イメージいていたのは昔「みんなのうた」でやっていた「山口さんちのツトムくん」でした。仲良くしていたツトム君がなんか最近様子がおかしいぞと女の子の目線から歌われる可愛らしい歌です。田舎に行っていたお母さんが帰ってきたら元に戻ったというオチなんですが何故か子供のころテレビから流れるこの曲を聴くと妙に心がザワつくというか何か不穏な空気を感じていました。大人になってから知ったことですがこの曲を作った、みなみらんぼう氏によると自身の少年期に母親を失った経験から作られたらしく「やはりそうか」と納得しました。

後、小学校の図書室で読んだ本。題名は覚えていませんが友達が実は宇宙人が作ったアンドロイドで秘密を主人公に打ち明け宇宙に帰るというお話。なんだか切ない気分になったのを覚えています。そこで小学校を舞台に友達が変質してしまったり秘密を知ってしまったりするオカルト版「山口さんちのツトムくん」を作ろうと思いました。

当初は本当に「お化け憑いた」とか「宇宙人にチップ埋め込まれた」とか考えていたんですが、どうもそれだと「山口さんちのツトムくん」聴いたときの不安感が出せなくて「なんかもっとないかな~」なんて考えてきたときフと思いつきました。虐待です。しかし肉体的虐待やネグレクトだったら友達に秘密にするかな?と思い友達に秘密にしなければならず、ばれたら全てが崩壊するほどの事と考えたら思いつきました。性的虐待です。

普段だったらこのアイデアは没にしていたと思います。重すぎるし扱い難しいですから。ですがこの時、妻のお腹には長男がいました。恐らく私の性格上、子供が出来たら子供が犠牲になるものは作れなくなるだろうと予想できました。だったらこのアイデア出来るのは今しかない!と強行しました。

予想は的中で子供が犠牲になるどころかあんなに好きだったホラー映画、人が死ぬシーンちょっと苦手になったりしています。恐らく子供が成人するまで後16年は子供が犠牲になる話作れないと思いますw

マンホールより

下の子の習い事の発表会が近づいて頻繁に練習がありまして、付き添いだけでかなり時間と体力、気力を削られます。アルバム製作そろそろ焦りが出てきました。

はい、というわけで曲紹介。5の八曲目

「マンホールより」

ホラー映画で時々見かける下水道に潜んでいる何かがマンホールから這い出てくるイメージ。これを曲にしようとしたのが最初のアイデアです。足元のすぐ下にあるにも関わらず生活と遮断された真っ暗な巨大迷路のような空間。実に想像力を刺激される空間です。作り始めるとある作品のイメージに強く引っ張られているのに気付きました。悪名高いビデオシリーズ「ギニーピック」。その中で日野日出志先生が監督された「マンホールの中の人魚」という作品がありまして、川が埋め立てられ下水となりそこに住んでいた人魚がドロドロに腐っていくという作品なんですが、どうもこれに引っ張られすぎている気がしたので別解釈をしようとあれこれ考えました。

開発により住処を奪われた妖怪ってストーリーはよくあります。妖怪物のアニメや漫画では必ず一回はこういう話があります。で、妖怪は被害者、弱者と描かれるんですがそんな訳無いだろうと。妖怪は現象によって現れる心の動きなんだから環境が変わっても恐怖を与える側で常に強者です。川で人を溺れさせたり尻子玉抜いていた河童は生活排水や工業排水によってさらに強く進化、サイボーグ化して災厄をもたらす存在になっているだろうと思いました。ここで「亡霊軍艦」とつながります。「亡霊軍艦」は伊福部氏が音楽を担当していた初期のゴジラ作品のオマージュですが、この曲はゴジラが正義の怪獣になった後期ゴジラ作品でいこうと。ですからこの曲、「公害怪獣ヘドラ」「サイボーグ怪獣ガイガン」「ロボット怪獣メカゴジラ」のイメージと河童を合体させたものになっています。

くるくる

今日は近所の公園で盆踊り。毎年、子供が行きたいつって連れて行かれるんですが正直キツイです。でもまあ子供も妻も楽しそうだから良しとします。

では曲紹介。5の七曲目、PVが人気の曲です。

「くるくる」

例のごとくネタやメロディを引っ張り出すため散歩していた時、携帯で電話している女性の前を通り過ぎました。大きい声で喋っていたので聞くとはなしに会話が耳に入ってきて、「それは時代が悪いんだよー」なんて言っていました。「時代なんて形が無い物に良いも悪いもねえだろ」なんて思った時ふと思いつきます。時代や世間、社会は形が無いにもかかわらず「良い」とか「悪い」とか「厳しい」とか「優しい」とか言われます。勿論それは擬人化で例え話みたいな物なんですが一部の人は本気で社会や世間に恨みを持っているように思えます。形が無い物を意思や意識があるように扱い恐れる。これって妖怪そのものではないかと。いや「世間様」なんて言葉があるんだから神様だろうと。それもかなり原始的な神様。

狩猟民族であった時は山や海、荒々しい自然は神様でした。農耕民族になると自然に依存する率は低くなり神様も扱いは低くなり妖怪になります。その代わり土地やコミュニティが重要になり土地神様や先祖の霊が重要視され、さらに複雑になると国や政治的な神様が現れます。過去の神様は大体妖怪に身を落とします。そう考えると結局利益の出る場所=狩場が神様なんだと思いました。現在、我々の狩は仕事です。社会や世間は狩場です。神格化されても不思議ではありません。太刀打ちできない強大な力を持っているような気がしますし自分一人では変えることは不可能のように思えます。でも考えてみれば社会も世間も実体は無いんですよね。まさに現象でしかない。人格はないし意識もない。ですから敵にもならないし味方にもならない。そういう物を「世間様」「社会が許さない」「社会的に抹殺」なんて言うのは狩猟民族であったころ山や海に抱いていた感情と大して変わらないんじゃないだろうかと思いました。縄文時代から大して進化していないんだと。曲のアイデア頂きましたw

どんな曲にするのか結構悩んだんですけど開き直って、とにかくポップにしてみました。こういうテーマ、迂闊な事をすると説教臭くなる可能性があったので能天気な曲に仕上げました。思惑は成功したと思っていますw

亡霊軍艦

子供が夏休みに入って色々イベントがあって結構時間が喰われています。でもまあ何とかなるでしょう!

曲紹介、5の六曲目

「亡霊軍艦」

私、小さいころからゴジラ大好きです。ウルトラマンも好きでしたが断然ゴジラ派でした。ウルトラマンシリーズは頻繁に再放送していたので視聴する機会はあったのですがゴジラ映画は滅多にやりません。DVDはおろかVHSも無い時代ですから、たまにゴジラ映画やったら見逃してはなるものかとテレビを食い入るように見ていました。あとはひたすら怪獣図鑑を見て空想妄想するばかり。子供のころの私は常にゴジラ欠乏症。こんな状態ですから音楽まで認識する暇はありませんでした。

小学校のころ「ゴジラ伝説」というアルバムが出ました。ゴジラ映画の音楽をシンセでアレンジしたアルバムです。貸しレコード屋(まだCDじゃない時代です)で借りて聴いて「怪獣総進撃マーチ」と「怪獣大戦争マーチ」にぶっ飛びました。ゴジラの音楽こんなにかっこよかったんだと。中学になりお小遣いに余裕ができると東宝特撮のレコード買いあさり名画座に東宝特撮三本立てを見に通いました。今だったらDVD買えば終わるような情熱、この時代はここまでしないと満足できなかったんですwこの時期、伊福部昭氏の変拍子や不気味さ、怖さを表現した音楽に触れ続けていたのは後にプログレに開眼する下地を作っていたようにも思います。

はい、こんなにも思い入れのあるゴジラ音楽=伊福部音楽、今回5のコンセプト「音楽を意識する前に聴いていた音楽」から外せるわけがありません。ガッツリ、伊福部風ではなく伊福部音楽を作るつもりでいきました。そしてやっぱり作りたいのは血湧き肉踊るマーチでしょう!そうなると歌詞は怪獣じゃなくって戦う方の自衛隊やスーパー兵器がいい。東宝特撮の主役級兵器といえば「海底軍艦」の轟天号。歌うのはイキグサレ。じゃあ謎の科学力じゃなくてオカルトパワーで戦う兵器。幽霊船になった戦艦で行こう!とノリノリで作りました。海の怪物を駆逐し幽霊船同士の海戦など妄想してワクワクものでしたw

この曲、PVもあるんですが「戦艦一隻じゃ勝てないだろ」みたいなコメントを頂いています。オカルトパワー舐めてはいけません。だって物理攻撃きかないんですよ。幽霊だから。こっちの攻撃は気合かなんかで当たると思いますw

雪女

息子が二、三日前から何で知ったのか「こっくりさん」をやりたがってうるさいです。「本当にお化けが来るわけじゃないんだけど嫌な事やいつもと違うことが起きるとお化けと結び付けて考えちゃうでしょ」なんていっても伝わる分けなく「本当に来ないならいいじゃん」「パパも怖いの好きでしょ!」と言います。うーん困ったもんだ。

そんなこんなで曲紹介。5の五曲目

「雪女」

妖怪って不可解な現象や自然現象そのものだったりします。「家鳴り」や「山彦」「蜃気楼」なんかも妖怪として扱われていました。キャラクター化した妖怪を現象として捉えなおすのは非常に面白いです。妖怪の正体を科学的に解明!なんて野暮な事ではなくて現象に対面した人の心の動き。恐怖や不思議に思う気持ちが妖怪を形作っているんだなと見えてきます。キャラクター化、妖精化した妖怪を再び恐怖の対象にするにはまずは「現象」にまで戻す必要がある気がします。

で、「雪女」。妖怪の中でもキャラクターが立っている妖怪です。いろんな作品でもヒロインに抜擢されています。これだけキャラが立っちゃうと元の現象が見えにくいですがある本に載っていました。雪山で遭難し凍死寸前になると逆に非常に暑く感じるらしく服を脱ぎ捨て裸で発見される事があるそうです。こんな雪山で裸になるなんてよっぽど良い女がいたんだろうという所から雪女が出来たらしいです。なるほど雪山で男をかどわかし凍死させる美女。イメージ通りです。しかしもう一つ雪女にはイメージがあります。純愛を貫く可愛らしい女性というイメージ。これは小泉八雲の雪女から来ていると思います。怖くて美しくて悲しい完璧なストーリーですからイメージも引っ張られちゃうってもんです。

そこで私が持っている雪女のイメージ、現代に置き換えて現象として復活させようと思いました。雪が降っていることを理由に好きな人を家に引き止める女性。交通機関が止まるほどの雪ならば被害が出る事も知っている。でも自分にとってはロマンチックで綺麗な雪。なかなか上手い事、現象としての雪女を表現できたんじゃないかと思います。